「寝たきりなら早く死ぬ」と保険金カット| 二重に傷つけられる交通事故被害者
◆損保会社による大規模な「不払い」が相次いで発覚。
業界の「払い渋り」体質が指摘されている。さらに、こんな実態があるのをご存じだろうか。交通事故で「寝たきり」になつた被害者の余命を短く見積もって、数千万~数億円の保険金を払い渋る事例が多く、被害者を二重に苦しめているのだ。
千葉県の佐藤則男さん(57)は会社勤めをしながら、週に3日は病院に寝泊まりをしている。2001年に自転車に乗っていて交通事故に遭い、遷延性意識障害者(欄外参照)、いわゆる"寝たきり"となった長男(26)の付き添い介護をするためだ。 残りの4日は妻が泊まり込む。夫妻が交代で、長男が痰をからませて息ができなくならないよう、常に人工呼吸器のモニターを監視し、室内温度や湿度管理に気を配る。痰を吸引する際には、新たな肉芽をつくらないよう細心の注意を払う。
「二十歳のときの事故以来、息子は言葉も話せず、体を動かすこともできません。ですから私たちは毎日、疲れた体に鞭打ちながら、息子の命の尊厳を回復するため、あらゆる努力をしてきました。それだけに、『遷延性の被害者は早く死ぬ』という損保の身勝手な主張は、絶対に許せません」
損保会社が交通事故で遷延性意識障害になった被害者の「余命」を平均より短く見積もり、保険金を払い渋る事例が相次いでいる。
佐藤さんも、そうだった。
「私の息子は本来なら、男性の平均寿命78歳までの58年間は、健康で文化的な生活を楽しめたはずです。にもかかわらず、加害者側の保険会社、ニッセイ同和損保は、息子の余命をあと10年、つまり10年後には死亡することを前提にして、介護費用や逸失利益を大幅に減額しようとしたのです」
佐藤さんによると、ニッセイ同和損保は裁判の中で、「20歳の寝たきり者の年間死亡率は約10%なので、平均生存余命は10年である」と一方的に結論づけてきた。そのデータの根拠も示さなかったという。 しかし、東京高裁は05年9月、ニッセイ同和側の主張を完全に退け、平均余命分の介護料全額を認める判決を下している。
「そもそも、遷延性意識障害者の実数が把握できておらず、明らかでないのに、どうやってデータが算出されたのか理解に苦しみます。加害者の不法行為によって人生を狂わされながらも、懸命に生きている息子にとって、こうした損保の主張は『言葉による殺人行為』と言わざるを得ません」
佐藤さんが共同代表を務める、一般社団法人「交通事故被害者家族ネットワーク」の中にも同様の苦しみを経験している人が多数いるという。
神奈川県の女性、Aさん(68)は11年前、自転車に乗っていて大型トレーラーにひかれた。脳挫傷などのため遷延性意識障害者となり、入院を続けている。Aさんの次女は語る。
「母の場合、地裁は保険会社の主張により、『余命7年』と判断しました。でも、02年の高裁判決では私たちの主張が通り、余命22年が認められました。事故から10年以上たった今も、母は頑張って生きてくれています。私たちがそばに行くと目で追ってくれるまでに回復しました。私たちはそんな母に触れられるだけで幸せを感じています。 いったい余命7年という判断はなんだったのでしょう」
Aさんのケースで高裁は、将来介護料など15年分の差額4500万円の増額を認めた。
今年2月、加害者側が既払い金を含め4億円を超える賠償金を支払うことで和解した千葉県の事件も、その背景には被害者家族の苦しみがあった。被害者の根本健宏さん(43)は、01年10月、飲酒運転の車にはねられ、脳挫傷などの重傷を負った。事故から5年以上たった現在も、家族の介護を受けながらの入院生活が続いているが、加害者側のあいおい損保は当初、「健宏さんの余命は10年」として将来介護料などを計算してきたという。 一審の千葉地裁佐倉支部は余命10年の主張を却下。平均余命の全期間、自宅介護を前提に、住宅改造などの費用も認め、高裁でもほぼ同条件での和解となった。根本さんの弟・鬼澤雅弘さんはこう振り返る。 「生きる権利すら無視し、少しでも支払いを抑えようとする損保の身勝手な主張には本当に憤りを感じました。兄は誰のせいでこうなってしまったのか。いったい誰が加害者なのかわからなくなりました」 この事件では、「余命」のほかに、もうひとつの大きな争点、「在宅介護」をめぐる議論があった。遷延性意識障害者を抱える家族の多くが、自宅での介護を希望しているのに対し、損保各社は「在宅介護は医学的に不可能」「受け入れ病院はある」といった理由で、「施設介護にすべきだ」と主張してくるのだ。
しかし、根本さんの家族は、病院探しの苦労をこう語る。
「寝たきりの患者を長期間置いてくれる病院は少なく、3カ月もすれば転院を迫られます。私たちもこれまでに50ヵ所くらいの病院をあたりましたが、自宅から近い病院を探すのは、たいへん難しいのが現実です。介護できる家族がいる場合は、最新の介護機器をそろえ、自宅でケアしたいというのが自然な願望だと思います」
実際に、自宅介護によって、遷延性意識障害者が長い年月存命している例や、症状が改善しているケースは多数ある。院内感染のリスクもなくなる。
◆自宅介護認めず引き延ばす損保
岐阜県のBさん(事故当時17)は、5年前、自転車に乗っていて車にはねられ、遷延性意識障害者となった。両親は在宅介護を前提に提訴し、06年、名古屋高裁でその請求が認められた。現在は自宅介護だが、入院中より状態はかなりよくなってきているという。 一方、損保会社から在宅介護を拒否され、裁判が長期化した結果、病院を転々としながら厳しい状況に置かれている被害者もいる。
二重県の池田和久さんは02年、31歳のときの交通事故で寝たきりの入院生活を続けているが、今も適切な受け入れ病院がなかなか見つからず大変な苦労を強いられているという。叔父の池田峯生さんは、損保の対応に怒りをあらわにする。
「肉親からすれば、遠くの病院ではなく、できる限り身近にいてやりたいと思うのが当然です。ところが、自宅での介護を希望すると、加害者側の損保ジャパンはあれこれと難癖をつけ、こんな病院があるといっては紹介してくる。藁をもつかむ思いで行ってみると、介護の専門医がいない病院であったり、老人向けの介護施設であったり...。被害者の年齢や状況を全く考えない不誠実な対応です」 最近も損保ジャパンが両者の弁護士立ち会いの下で、被害者本人の状態を確認したいと申し出てきたが、その後連絡もないまま勝手に病院を訪れ、本人に会わずに帰っていったという。 「結局、在宅介護は費用がかかるから払いたくないのでしょう。単なる時間の引き延ばしとしか思えません」(池田さん)
兵庫県のCさん(事故当時28)は、仙台の療護センターから地元の長期療養型老人病院に転院し、3カ月後に容体が悪化して亡くなった。Cさんの母親は語る。
「私たちは在宅介護を希望し、やむなく裁判を起こしていましたが、結局間に合いませんでした。損保が早く対応してくれていれば、もっといい環境で介護ができたはずです。私たち遺族は、この無念を一生抱えていくことになるでしょう。損保には命の重さを見つめてほしいと思います」
近年、多くの裁判で、在宅介護を肯定し、平均余命分の期間の支払いが認められてきている。 昨年9月には仙台高裁で、「遷延性意識障害の将来介護料の算定にあたっては平均余命を用いるのが相当」と断じる判決が下された。 この裁判で、 「遷延性意識障害者は余命が短く、また余命は不確定で、長くても10年だ」 と主張していた東京海上日動火災は、筆者の取材に対してこう回答した。
「確かにこうした主張は、社会的に受け入れられるものではないと考えております。基本的には被害者の主張を尊重した損害賠償をしていくのが方針です」
◆多くの被害者がわからずに示談
しかし、この回答とは裏腹に、同社は現在も他の裁判では、関連会社である東京海上日動メディカルサービス所属の医師の意見書を使い、「余命10年、在宅介護は不相当」という主張を続けている。判例も一般化し、自社の方針にもそぐわないと答えながら、なぜこうした主張をするのか。
再度質問すると、 「個別事案、いろんな要因があり、訴訟になっているケースにつきましては担当の弁護士の判断に任せております」 お決まりの「個別事案」を盾に、逃げの回答に終始した。 前出の仙台高裁事案をはじめ、同様の裁判を多く扱ってきた古田兼裕弁護士は、こうした損保の姿勢について次のように指摘する。
「加害者の過失で重大な被害を与えておきながら、被害者の余命を制限し、さらに家族とともに暮らす権利まで認めないという主張が、はたして人道的に許されるのでしょうか。加害者側の損保会社のこうした主張は、『ノーマライゼーション』、つまり『障害者と健常者が互いに区別されることなく、社会生活を共にするのが本来の望ましい姿である』という広く認められた理念に背くもので、憲法の基本的人権すら無視するものではないでしょうか。結果的にこのような主張は、司法の場面においては全く通用しないことを認識すべきです」
古田弁護士は2007年1月、全国各地の弁護士とともに「交通事故・弁護士全国ネットワーク」(弁護士ネット http://www.bengosi-net.jp)を立ち上げ、HPでの最新判例情報提供をはじめ、損保と被害者の力の差を埋めるための支援活動を開始している。
万一のとき、被害者に十分な補償ができるようにと多くのドライバーが対人無制限で契約している自動車保険で、事故後、損保会社が、こうした非人道的な主張をしていることを、ドライバーは認識すべきだろう。 契約者の意思に反して、損保が一方的な主張をしているとすれば、これは契約者に対する背信行為ともいえるのではないか。